永遠基準の愛なんて。
わたしは今、期限付きの愛を捧げている。
あと2年、あと1年と9ヶ月したら、
今わたしが好きな人たちの好きな形はなくなってしまう。
これは予め決められた中で、どれだけ愛せるか、どれだけ愛を伝えられるか試されているのだと思う。
わたしはずっと、永遠を信じていて。「今じゃなくてもいいや、どうせずっと好きだし」って生きてきた。そのツケが少しだけ回ってきた。
「永遠なんてないんだよ」「今と同じなんてないんだよ」だから、今愛さなきゃダメなんだよ。
期限付きの愛は、楽しい。でも時々無性に寂しくなる。それでも楽しい。
終わりがあるとより輝いて見える。
儚いものが好きだ。
1週間しか満開を見られない桜は美しくて、夏の夕立の前の一瞬の静けさが愛しくて、1年の終わりの大晦日の街中がふわふわして好きなように。消えるもの変わるものをいつも愛していたことを思い出した。
寂しさと同時にやってくる高揚感ってこういうものだったんだ。
わたしが大好きな嵐とIZ*ONEは、2年後にはきっと今の形で存在してくれていないんだと思う。でも、この2グループに関わらず、どこの誰もが2年後同じように存在することはできない。
期限付きでしか愛せないなんて馬鹿みたいだけど、永遠基準の愛では、これからも変わっていく大好きな人たちを愛せなくなってしまう気がする。
変わっていくもの、いつか終わるものを愛するって、やっぱり少し難しい。永遠基準の愛しか知らなかったわたしにとってまだ手探りの日々だ。どうしたら悲しみを思い出さないか、どうしたら永遠を願わないでいられるか。まだ終わりが決められてない他の人たちに対してだって、変わっていくことを受け入れられるか、いつか終わりが来たらどうするか。考え事は尽きない。
でも答えは簡単なのかもしれない。これから先も愛せる愛し方で、ちゃんと今愛することだと思う。
これは刹那的な愛ではない。今しか考えない愛は、数秒後には破滅する。お金も時間も大切にできない愛には意味がないと思う。だから、例え期限付きでも、この先が見えなくても、わたしはこれから先「好きだ」と思う限り大好きな人たちを愛せるように、無理をせず、我慢もせず、愛したい。
脱・永遠基準の愛
変わっていくもの、終わっていくもの、全て含めて愛す。
以上、わたしの愛の決意表明でした。
追伸:とにかく最高なので見てください。永遠ではないからこそ出せる美しさだと思う。